ほんとうのこと
法によって支配されている。
法の相は空虚にして実を持つ。
法の相は無限に有り、理解の出来ぬ者は一つに求め、それに苦しむ。
無限に有るが一つである。
( 法:仮の名、法則のようなもの )
色々な宇宙が時空を超えて無限に広がっている。
そのどれもが影響しあっている。
善悪とは方便であり、実は無い。
如何なる言葉も仮の姿であり、次第に淘汰され、消滅する。
人の言葉は他の動物の鳴き声と大差は無い。
発している意はそんなには通じていない。
よって、意は無限に広がる。
そのように広がった意は空であり、虚であり、真である。
知識は量だが智恵は違う。
智恵のある者は最も命を大事にする。
智恵のある者は命を惜しまない。
人を殺してまで守らなければならない人の命はない。
業により果、果により縁、縁により業である。
すなわち行われたことには必ずその種の成果があり、それによってその種の縁を得る。
そして、その縁より新たな業がまた導かれる。
これは宗教的というよりは物理的な話である。
その速度は色々であり、故にこれらは感じられにくい。
縁に環境のタイミングが必要で、それが速度の変化を与えているのかも知れない。
(円の理論)
若しくは、業が縁により果を導く。この場合、新たな業は人自体が創造していくことになる。
(直線の理論)
円より直線の方が人の可能性は広がるが、円の方が安定はする。
見た所、円のような気がする。故に本質的な変化は起こりにくい。
常に楽しいという状態を得ることが人の到達すべき所であり、そこまで到達できれば
不可能は無くなり、真に自分を確立することが出来る。
常に楽しむ為には智恵が必要となる。
常に楽しむ為には常にあるものを得なければならない。
智恵は縁より来る。よって、智恵は直接得ることはできず、
善い行いをした者が授けられる。
何々の為に何かをしてはいけない。
何々の為とは常ではない。
誰もが幸せになれる。ただ、幸せの連続に耐えられる力が無い。
その力は智恵から来る。
全ての記憶は消えない。
物理的、精神的、霊的というものは究極的には同じことである。
心身はお互いに合い従う。それによって、人は自由を拘束される。
人やあらゆる生き物は色々な世界に生まれ変わり続け、最後に自分を得ることになる。
よって、究極的に言えば 不生不滅 である。
生き物一切が永遠の存在なのである。
ゆえに尊ばねばならない。
位置の概念
全ての物が3次元の法則で位置が決定される訳ではない。
「いつもあなたのそばに居る。」と言う事も不可能な事ではない。
人の労働は本来1日3・4時間で事足りる。
無限の存在が全てを可能にする。
一つでも有れば、其処から可能である。
強い心で導かれよ。道は必ずあり、導かれる。